中学校の時くらいかな。
全日本プロレスと新日本プロレス、
両団体の試合が、深夜のテレビ中継で見られた頃。
当時、僕らにとってのスーパースターと言えば、
アントニオ猪木でも、ジャイアント馬場でもなくて。
新日派にとっては、橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋の闘魂三銃士であり、
そして全日派にとっては、小橋健太、川田利明、そして三沢光晴でした。
スポーツが得意なわけではなく、
女の子にモテるわけでもなく、
いわゆる不良と呼ばれるような人種でもなかった、
何というか、華やかな学校生活からは遠く離れたところで生活していた僕ら。
そういう奴らは決まって、その深夜のプロレス中継を夢中で見ていました。
軟派な理屈など存在しない、男が肉体言語だけですべてを表現する、
汗臭いロマンチシズムが充満した、プロレスのリングという場所。
学校生活をつつむ「トレンディ」な空気感に違和感を感じていた僕らが、
心の中で探し続けていた「ここではないどこか」は、そのリングの上に在ったのです。
そんな思いを共有する多くの友人たちと、
毎週のテレビ中継を観た翌日に、全日派と新日派に分かれて、
激論を交わしていたことを思い出します。
僕が好きだったプロレスラーは、橋本真也と三沢光晴。
特に三沢は、僕にとってのスーパースターでした。
代名詞のエルボーにタイガードライバー。
タイガードライバーは無理だけど、三沢のエルボーはよく物真似していましたよ。
三沢と同じように、全日の看板選手だった川田利明との試合は、
危険な角度の打撃や投げ技の応酬で、
本当にどちらか死んでしまうのではないか、と思うほどの、
とにかく激しい戦いばかりで、毎回、心を震わせていました。
マットに体を打ちつけながら、
相手の技を真正面から受け止めながら、
どんなに劣勢でも決して諦めることなく相手に立ち向かう彼の姿は、
当時の僕に、計り知れない力と勇気を与えてくれました。
人生はカウント2.5から逆転できると、教えてくれたのも彼でした。

その三沢が逝きました。
リングの上で。
今度の月曜日は、鹿児島で試合が予定されていました。
久しぶりに、三沢の試合を生で観戦できるはずでした。
橋本真也の時も、ショックで、しばらく何も手につきませんでしたが、
今も、ちょっと放心状態です、、。
こんな事を言うと、三沢は悲しむかもしれないけれど、
僕はもう当分、プロレスは見ないと思う。
だって、どれだけリングの上を見回したとしても、
三沢光晴は、もう何所にもいないのだから。