2009-02-28

閑話休題『最期の時のむかえかた』

今日の昼、叔母が無くなりました。

父の妹で、世間一般の人が聞いたら、
まだ亡くなるには早い、と、
そう言われるような年齢の人でした。

5年前に大腸ガンが見つかり、
その時点で、病状は深刻な物であると、
医師から家族には説明があったらしいです。

それでも懸命に治療は続けていたし、
一時期は、傍目には健康な人と見分けが付かないほど、
病気なんて何かの間違いだったんじゃないかと思えるくらい、
元気な姿を見せてましたが。

病気は叔母の体の中を確実に蝕んでいたらしく、
今年の2月には治療を断念し、緩和ケア病棟に移り、
そして今日、
叔母の家族やウチの両親達に見守られる中、
眠るように逝きました。

緩和ケア病棟に移ってから数日後、
見舞いに行った僕へ、叔母が見せた笑顔が思い出されます。
病院では痛みに耐え、苦しそうな表情ばかりを見ることが多かったし、
付きっ切りで看病している従兄弟の表情も、
看病疲れがあったのでしょう、大変暗い物でした。

しかし、緩和ケア病棟に移った後は、
抗がん剤の副作用や、病巣の痛みを感じることも無く、
広い病室で家族と共にゆっくりと過ごしながら、
穏やかに、人生最後の時を迎えてたようです。

家族としては、治療を続けない、という決断を行うまでに、
さまざまな葛藤があり、逡巡したことと思います。

万に一つでも助かる可能性があるなら、
当然治療を続けて欲しいと願うだろうし、
奇跡的な回復を祈るような気持ちで期待したでしょうが。

現実問題として、医師が回復の見込みがないと判断した時に、
緩和ケア病棟で最期の時を過ごすという決断をしたことは、
少なくとも叔母自身と叔母の家族にとっては、とても幸せな結果を生んだと思います。

もちろん全ての末期がん患者にとって、
叔母のようなケースが当てはまるとは思いません。

例えば患者本人が、最後まで病気と戦う意思を見せている場合、
周りにいる家族は当然その意思を尊重し、応援してあげようと思うでしょうし、
そうすることが患者本人やその家族にとって
一番幸せな結果を生む事だってあるはずですから。

患者本人が亡くなった後も、
残された家族の人生は続いていくわけだし、
その事も踏まえた上で
患者本人と家族の意思、医師のアドバイスなど
さまざまな事を総合的に判断しながら結論を下さないといけません。
誰にとっても当てはまる「正解」なんてものは、
この場合存在しないわけですしね。

ただ、緩和ケアのような終末期医療が発展し、
患者やその家族にとっての選択肢が増えるという事自体は、
とても素晴らしいことじゃないでしょうか。

ちなみに、もし自分が病に倒れ、
人生最期の時が近づいたその時は、
出来ることなら、叔母のように逝きたい、と。

少なくとも今、僕は、そう思っています。