2008-12-10

機動警察パトレイバー2 the movie より

僕が尊敬するクリエイター、
押井守の傑作。
『機動警察パトレイバー2 the movie』

その映画の肝になるシーン。



『警察官として、自衛官として、俺達が守ろうとしているものってのは何なんだろうな。
 前の戦争から半世紀。
 俺もあんたも生まれてこの方、戦争なんてものは経験せずに生きてきた。
 「平和」
 「俺達が守るべき平和」
 
 だがこの国のこの街の平和とは一体何だ?
 
 かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、
 ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。
 そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。
 そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。
 それが俺達の「平和」の中身だ。
 
 戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ「平和」。
 正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の「平和」

 あんたが正義の戦争を嫌うのはよく分かるよ。
 かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、
 その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで歴史の図書館は一杯だからな。
 だがあんたは知ってる筈だ。
 正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。
 
 平和という言葉が嘘吐き達の正義になってから、
 俺達は俺達の「平和」を信じることができずにいるんだ。
 
 戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。
 
 単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、
 いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。
 
 そう思ったことはないか?
 
 その成果だけはしっかりと受け取っておきながら、
 モニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。
 いや、忘れた振りをし続ける。
 
 そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると。』

今まで何度となく見返した映画ですけど、
見るたびに色々と考えさせられる台詞です、、。
テレビの中の戦争と僕らが享受している「平和」は
地続きであるということに改めて気付かされました。



「我地に平和を与えんために来たると思うか。
 我汝らに告ぐ、しからず、かえって分争なり。
 今よりのち、一家に五人あらば三人は二人に、二人は三人に分かれ争わん。
 父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に。」
------------------ルカによる福音書・第十二章五十一節